いい人の先に行くには・・・
いい人の行く先にはなにがあるだろう。
単純に『いい』といっても様々な形がある。無論、ある程度決まったものはあるかもしれないが、『いい』というものをひと括りにしてしまうのはあまりいいとは思えない。世間にある様々な『いい』について考えてみようと思う。
まず、『いい』人とはどういったものだろうか? 『いい人』がどこに行くになにがあるか論じる前に、『いい人』について語ってみよう。
ただ『優しくしてくれる』からといって『いい』としてしまうのは少し軽率ではないかと思う。普通の人であれば、出会ってからそれほど日が経っていなければそれなりに優しく接するものだ。その理由は明快である。大抵の場合、他人からいい印象を持ってもらいたいからだ。第一印象さえよかったのなら案外どうにでもなってしまったりするのが人間関係だったりする。
ただ『優しいだけではない』いい人とはどんなものか?
これは単純に決められるものではない。人が『いい』と思うものは人の数だけあるといっても過言ではないくらい多様性があるものだ。その多様なものの中から例をひとつあげるとすれば、『誠実であろうとする人』だろう。
間違えないでほしいが『誠実な人』ではない。『誠実であるとする人』だ。
人間というのは常に一貫性を保てるわけではない。昨日好きだと言っていたものが寝て起きたらそうでもなくなってしまったというのはどんな人にでも日常的によく起こりえることなのだ。
一貫性を常に持っていられるような人間はそうそういない。いや、ほとんどいないといってもいいくらいだ。そんな人と出会う機会など多くの人には皆無といっていい。それでも、『そうあろう』と心がけている人は間違いなく『いい』人のはずだ。
そういった人でもいつでもそうあろうとしていられるとは限らない。生きていれば嫌なことはいくらでも起こるし、嫌になってしまうことだって起こりえるものだ。
それでも『誠実であろうとしている人』ならば、関係を決定的に悪くするようなことはしないだろう。
だが、そのような人と出会うのはとても難しい。
そのように誠実であろうとする人は大抵すでに結婚してしまっているし、結婚していなかったとしてもすでにいい関係の人がいるのが当然だからだ。
そのような人の行く先とはどんなものだろう。
少なくとも危険な場所にはいないはずだ。
恐らく、パチンコや競馬場といったギャンブルの場にもいないだろう。少なくともそういった人々は頻繁に入り浸ったりしないはずだ。『誠実であろう』とすることとギャンブルは相反するものではないかと思う。ギャンブルというものは基本的に『誠実』からはかけ離れたものだからだ。
SNSなどインターネットコミュニティはどうだろうか。
間違いなくいるだろう。
今の世の中、SNSなどインターネットコミュニティをまったく利用しないという人間の方が少数派となっているからだ。
だが、いいも悪いも一緒くたになった圧倒的な情報の中からそれを見つけるのはとても難しいし、まず起こりえない。もしかしたら運よくそのような人と出会えるかも? というような期待は捨て去るべきだ。認知されないものは存在しないも同然なのである。目に付く華々しいものは確かにあるのは事実だが、インターネットにある情報の大半は見向きもされないというのが事実なのだ。
ではどのようにすればいいのか? この答えは実にシンプルだ。ここまでインターネットのコミュニティが発達しているのだから、自分自身も情報の発信をしていくのを続ければいい。
インターネットでどういう形であれ成功をつかむために必須になるのはまず続けることなのだ。当然、それ以外にも必要な要素はたくさんあるが、一番大事なのはそれである。そして、大抵の人は続けることができない。
とは言っても、漫然と続けているだけではそれをつかむことはできないが、そういった創意工夫は続けられるようになってからやればいいのである。
続けることは思っている以上に大変なことだ。
はじめのうちはまったく反応がないなんていうのも珍しいことではない。そのまったくない反応に大抵は耐えられない。だから続けることができなくなってしまう。ある程度の期間、続けることができたのならそれは稀有な才能を持っているといってもいい。
続けるにあたって大事なことがもうひとつある。
それは安易な話に飛びかからないことだ。特に自分に得しかないような話は疑ってかかるべきだ。
インターネットには素晴らしい人もいれば悪意に満ちた人も同じくらい多い。そして、安易な持ちかけをしてくるときはなにか裏があると疑って考えるべきだ。
そうやって慎重になりながら続けることで『いい人』あるいは『誠実であろうとする人』が先にいることがはじめてわかるのだ。
いい人がどこにいるのかなんて簡単にわかるものではない。
簡単にわかるものではないことはある程度続けていかなければ絶対にわからない。
考えてみれば当然のことだが、実際には多くの人にはできていないことなのだ。
続けるのはとても大変だ。でもその先に『いい』ものがある。それをつかむためにも是非自らを発信していくことを続けてほしい。