いつもは仲がいいのにケンカしてしまうこともあるでしょう。
仲がいいからケンカする…昔からよく言われていることですが、ケンカしないほうがいいのは間違いありません。
それでも、ケンカしたとき思いの丈を言い合ってエスカレートすることもありそうですね。
ケンカするほど仲が良い
普段は仲の良いカップルでもたまにはケンカをすることもあるでしょう。
ケンカをすることで、二人の絆が深まることもままあるのです。
ケンカをしたときこそ、その勢いを借り手普段は言えないようなことも言い合うということが大事です。
出会いから二人のつきあいが始まり、それまでケンカを一度もしたことがないというカップルも少なくないでしょう。それほど派手な口げんかではなくても、無口になるなどのいわゆる冷戦状態になるようなこともケンカの一つです。
もっともお互い口を聞かなくなるような状態というのは、仲直りする過程も反省に立ったものではないでしょう。
ですから、冷戦状態のケンカというのは、あまり意味のないケンカと言えなくもないのです。
どうせケンカをするなら普段は言わないようなことを言い合うといった派手なケンカがいいですよ。
カップルというものはつきあっていく中で多少なりともガマンをしている部分があります。
そのつもりがなくてもパートナーを束縛していることもあるでしょう。
そうなってくると知らず知らずのうちにストレスや鬱憤が溜まってくるのです。
そうなるとお互いが窮屈になってしまい、いつの日か溜まった鬱憤をはき出さなくてはならない日がきます。
溜まったストレスや鬱憤をはき出すのはちょっとしたきっかけで十分ですよ。
パートナーがちょっとした失敗をしたことで、普段なら笑って済ませられることをついつい皮肉めいたことを言ってしまうのです。それが引き金となって延々と罵りあいが続くことがあります。
普段は言えないようなことを言い合うのは悪いことではなく、言い合うことで逆に二人の絆が深まっていくものなのです。
謝るときは簡潔に
普段から仲むつまじく、周囲からもうらやましがられるようなカップルもいつかはケンカをすることもあります。
別れるということは結局のところ、ケンカで別れることがほとんどですから、結婚という結末を迎えない限りはケンカ別れとなってしまうものなのです。
それでもケンカが悪いということでもないのです。
それにケンカをしたからといっても別れるとも限りません。
むしろ、つきあっていくことで多少なりともガマンしている部分もあるので、たまにはそういった溜まったストレスや鬱憤をはき出すためにもパートナーに対して口げんかを挑むことも悪くないかもしれません。
出会いからずっとケンカをしたことがないというカップルでしたら、初めてするケンカに対してどう対処していいのかとまどってしまうこともあるでしょう。
しかし、たまにあるケンカあるいは初めてのケンカが二人の絆をより強くしていきます。
ケンカをしたからといっても別れるわけでないので、どちらからともなく仲直りの言葉を発するようになるでしょう。
もちろんそれがメールでもかまわないのです。
どちらにしても延々と仲直りしようとか、謝罪の文句をつらつらと書くような長い文章は必要ありません。このときは、より簡潔にシンプルに謝ったほうがいいのです。
長く書いたほうが思いを伝えやすいと思う人が多いのですが、長い文章のメールは相手も読む気を無くしてしまいます。そして、長い文章というのは、よほど文才がないといつのまにか論点がずれてしまうことがあります。
謝るなら簡潔な文章のほうがいいのは間違いないのです。
むしろケンカは大事
ケンカは負のイメージしかないのですが、ことカップルに関してはそうとばかりは言えないのです。
もちろんそれが原因で別れてしまうことであればそれまでのことですし、ケンカの原因が浮気と言うことであればケンカから別れ話になっても仕方のないことです。
それでも別れ話にもならない口げんかということなら、むしろたくさんしたほうがいいかもしれません。むしろ、たまにケンカをするのも悪くはないのです。
というのも出会いからつきあいが始まり、ずっとケンカをしたことがないというカップルはどこかパートナーに対して遠慮をしているものです。
仲が良くてもどこかパート名の懐に入りこめずに、言いたいことが言えなく悶々としている人もいることでしょう。
そしてつきあっているとパートナーを尊重していると言いながらもどこかしらパートナーの行動を束縛しているものなのです。
パートナーのことを思うのであれば、ケンカを絶対にしないというのも一つのつきあいの形です。
しかし、それでは思ったことが言えないこともあります。
つきあいの長いカップルというものは、ときたま口げんかをすることで思ったことを言い合うよりも、お互いの理解を深めているのです。
そうすることで、パートナーのことをよりよく知ることができるということなのです。