つきあっているからこそいつも一緒にいたいと思う二人ですが、なかなか一緒にいることができずにやきもきすることもあるでしょう。
また、つきあいが長くなってくると、出会った頃に戻りたいと考える人もいるかもしれません。
恋愛はどの瞬間が一番いいのでしょうか。
交際クラブ・デートクラブにおいても参考にしてみてください。
ときめく気持ちが終わってしまう?
出会ってから、おつきあいが始まった当初のころは、会うのがとても楽しみになったことでしょう。
それでも、つきあいが長くなってくると、最初の頃のようなときめき感を保つことは難しくなってくるのではないでしょうか。
つきあいが長くなればなるほど、一緒にいるのが当たり前になってきてしまって、パートナーに対していつのまにかときめくという感情がなくなっていってしまうのです。
しかし、そういったことはある程度仕方のないことでしょう。
ときめく気持ちがなくなったからといって二人の間に距離ができたと思うことはありません。
恋愛が始まって恋人同士になったからといっていつも一緒にいることも稀でしょう。
逆に二人が離れている時間のほうが多いはずなのです。
ときめきがなくなってきたときにふと思い起こしてみると、二人でいることが当たり前になっているころではないでしょうか。
それこそが、最初の頃と違って恋愛の真の姿といえます。
ときめいているときは二人とも輝いているときかもしれませんが、それはまだ恋愛の形としてはある意味では、とても不安定なものなのです。
極端な例えになるかもしれませんが、ときめきから一緒にいてパートナーのことが空気のような存在になることが恋愛の究極的な形と言ってもいいかもしれません。
ときめいた気持ちがなくなったからといっても、二人の間に距離が出来たということではありません。
たとえ一緒にいる時間が短くなったといっても、それで恋愛が終わりになるわけではないのです。ときめきが薄れていってもその代わりに二人の間には信頼や絆といったものが芽生えてきていることでしょう。
離れていても二人の間にゆるぎないものがあれば、恋愛関係が壊れることはないのです。
めくるめくようなときめきの後、たとえそれが薄まっていったとしても、それとは逆にもっと深くて強い愛が生まれるのです。
長くつきあっていると
出会いから何年もつきあっているカップルがいます。
いずれは自然とどちらからともなく「結婚」と言う言葉も出てくることでしょう。
そのときを二人で心待ちにしておけばいいのですが、お互い仕事を持っていて忙しくて、ゆっくりとデートをする時間もないといったこともあるかと思います。
そのようなときにお互いの間に距離ができてしまったと思う人もいるかもしれません。
また一方で二人の間に心配事など何もなく、流れに任せようとするカップルもいるでしょう。
つきあい始めたときのような、お互いが燃えるような思いもなくなってしまい、会うたびに心がときめくような気持ちもなくなってくることもあります。
しかし、そのような時であっても自分の気持ちに素直になって心の中で、パートナーのことが「誰よりも大切な人」だと声を大にして言ってみましょう。
そのように思える人は、たとえ離れていても、そして苦しいときに気持ちの上でも常に傍にいてくれる人なのです。
パートナーの存在こそが生きる糧になっているといえば大げさになるかもしれませんがまさにそのような存在ということですね。
恋愛関係に時間は関係ないという人もいます。
しかし積み重なった時間というものは、何にも代えがたい歴史があるのです。
苦しいときに傍にいてくれる存在、それが物理的な距離ではなくて精神的な距離でもかまわないのです。
いつか目が覚めたら傍にパートナーがいてくれるというそのときまで恋愛を続けていきたいと思う気持ちが大切なのです。長くつきあってこそパートナーの善し悪しがわかります。
そして悪いところも好きになれたときこそ、その恋愛が成就するのかもしれません。
あの人とここに来たい
誰にでも行きつけのお店があるでしょう。
それが気軽に立ち寄れるようなカフェであれば、パートナーと一緒にこのカフェの空間を共有したいと思うのです。
今まで見慣れた風景もパートナーと一緒だったらまた違った風景を見ることができます。
友人同士で旅行に行って洒落たペンションに泊まったようなときでもそうかもしれません。
窓辺からの風景を一人で眺めていて、「あの人とここに来たいな」と思うことがあるので。
そのような一緒に来たいなと思う気持ちがまさに恋愛感情ですね。
大切なのは、パートナーと一緒にいたいという気持ちです。
出会いがあってお互いに好意をもったとしてもなかなか会えない時間があります。
物理的にも気持ち的にも、最初はお互いに距離があるものでしょう。
手を伸ばせばそこにパートナーがいるのに、気持ち的な距離が邪魔をしてなかなか近づけないのです。そのようなもどかしさを感じながらも一緒にいたい、あるいは一緒にここに来たいという気持ちを育んでいかなくてはいけません。