男性が女性に求めるのは寡黙でしょうか。
それとも明るさでしょうか。
どちらも一長一短がありそうで、それでいて両方というのは難しくかつ虫が良さそうです。
交際クラブ・デートクラブをご利用の皆様も、是非参考にしていただければと思います。
賑やかなほうがいい?
おとなしい女性よりも明るい女性のほうが好きという男性は多いでしょう。
これは女性に求める性格とイコールと考えていいのかもしれません。
おとなしいというか寡黙な女性になると、なんとなく会話が成立しないようなイメージにとられがちになってしまうのです。
女性としては少々損な性格になってしまうかもしれません。
それでも、場所によって男性は女性に求めるものが違ってくるのです。
例えば飲みの席ではどうでしょうか。
女性にとって、明るすぎると酔いが回っているとか、酔いやすい、はめをはずしやすい…と捉えられてしまうかもしれません。
酒の席で明るすぎるのは少し損な性格に思われてしまうかもしれないのです。
もっとも、これも男性の性格によるといってもいいでしょう。
賑やかな雰囲気が好きでしたら、酒の席でも明るい女性が求められることでしょう。
静かに飲みたい場合は、男性にしっかりと合わせて寡黙に相手をしてくれる女性が求められます。
男性とは身勝手なもので、騒ぎたいときは明るい女性を好み、静かにしたいときは寡黙な女性を求めるのです。
これを一人の女性に求めるのでしたら、女性もたまったものではないかもしれませんね。
静かにお酒を飲むというのはいかにもオトナの男のお酒の飲み方と言えるでしょう。
静かで飲むほうが格好良く見えるものですが、それも場所によるのではないでしょうか。
居酒屋などで静かに飲んでいるのはどうも一人だけ浮いているような印象になります。
スナックなどでもカラオケで騒いでいる人もいますし、寡黙というよりは少し違った雰囲気にもなります。
静かに飲める場所というのは、あらかじめリサーチするなり口コミサイトなどで探したほうがいいでしょう。
相手の女性や場所によって明るさや寡黙さを求めるのは男性のエゴ以外の何物でもありません。
男性にとっては、明るいときには底なしに明るく、寡黙を求めるところではとことん静かにしてくれる女性の方が都合がいいのは間違いないのですが、そのような女性を探すほうが大変です。
仮に根が明るくて、静かなところでは静かにしなくてはいけないというのは、女性にとってもストレスになるでしょう。
男性の場合、自分自身が寡黙なのか明るいのかはさておいて、自分の話を聞いてくれる女性を好む傾向にあるのは間違いないでしょう。ですから、女性に対して特に大人の男性は女性に寡黙さを求める傾向が強いのかもしれません。
男性の場合は同僚と飲むときはどこまでもバカ騒ぎができるので、女性と飲むときは静かに飲みたいと思うものなのかもしれないですね。
男性が女性と出会って次のステップに進んでいく過程の中では、二人でお酒を飲みに行くという場面も出てくることでしょう。
これは恋愛関係にすでに発展した時期か、そういう関係になるのは時間の問題と考えて良い時期かもしれません。
食事ならまだまだ恋愛途上と言えなくもないのですが、これがお酒の席となると友達以上という関係になっているのは間違いないと考えていいでしょう。
お喋りな女性を好む?
昔は、お喋りな子どもを「口から先に生まれてきた」というように表現していました。
お喋りな人というのは、その場を和ませる力があるのは言うまでもないでしょう。
ときには楽しまれがられたり、おもしろがられたりすることもあって、その場になくてはならない存在の人もいます。
しかし、そういう人は飲みの席や遊ぶにはたのしいけれど、つきあうにはちょっとと思われがちな人かもしれません。
それでも、どうでしょうか。
大人の男性としてはこういった女性のほうがずっとつきあっていく中で必要人かもしれません。
寡黙な女性はなんとなく、男性についていくといったイメージが強く、反対に考えると、男性に付き従っていく、いわば古いタイプの女性に思われがちです。
しかし、明るい女性となると、男性の物言う立場がすきですから、どっちが先というわけではなく、一緒に歩んでいくタイプと言えるのかもしれません。
男性はもともと自分にないものを女性に求める傾向にあります。
母親好きの男性でしたら、つきあう女性に母性を求める傾向が強いのはそのせいです。
そして、自分が寡黙でありすぎるなら、それを補ってくれるような明るい女性を求めることでしょう。
自分がなんでもテキパキすることができて、女性に依存しないのであれば、寡黙でついてきてくれる女性がいいということになります。
こういうのも男性の勝手さからくるものですが、女性の視点から見ても、どちらのタイプの男性にも魅力があると考えるのではないでしょうか。
もっとも、男性も女性も明るい性格で似たもの同士で盛り上がるということもあります。
結局はつきあってみなければわからないということに帰結するのかもしれません。