交際クラブ・デートクラブをご利用の皆さまも、あの人のことが気になって仕方がない、ということはよくあることだと思います。
しかし、そこからどうやってこっちをふり向いてもらうかといった手段が見当たらないのです。
そうした焦燥感を日々感じながら、チャンスをうかがうことになります。
交際クラブ・デートクラブをご利用の皆様も是非参考にしていただければと思います。
ちょっとしたメールから始まることも
つきあっている中で、この人のことが好きかも知れないと思う瞬間は誰にでもあることでしょう。
それがないとつきあっていることにはなりませんし、これからつきあっていくこともできないでしょう。
ですから、そういった思いは当然のことと言えるのです。
それでも後になって思うことが多くあって、そのような熱い恋心をパートナーに対して思ったのはいつ頃なのかを考えてしまうのです。
そういったこともわからなくなって、時だけが経つにつれて記憶がさらにあやふやになってしまいます。
そうなると、頭を抱えてしまうだけで何も思い出せなくなってしまうのです。
出会いから、なんとなくメアド交換をして、さらには電話番号を教え合う仲になってくると、そこから恋愛関係になるのも時間の問題と考えると思います。
しかし、たいていの場合はそこからが長かったり、結局は恋愛関係になるという一つの結果にたどり着くこともできずに2人の関係は終わりを迎えることもあります。
もっとも、それもはっきりした終わりではなく、いつのまにか疎遠になってしまったという、ある意味中途半端なものになってしまうのです。
ですから、メアドを交換した、電話番号を教え合った、友達以上の関係になっている…というだけでは、つきあっていることにはならないのです。
さらに言うと、その時点では恋心が芽生えたということにもならないでしょう。
メアド交換というのは今も昔も友だちになるための一つの登竜門的な位置づけにあるのは間違いありません。
それでも他愛のないメールをするようになると、相手に対して友だち以上の恋心を抱いていると考えていいでしょう。
第一友だちであれば挨拶メールをわざわざするようなこともないでしょう。
そうすると、他愛のないメールをするようなこともないのです。
それがメールの内容になると、今何をしているのというような相手のことを気にする内容のメールを書いてしまうことで、とその頃になってやっと恋心が芽生えたと考えてもいいのです。
相手に対してそのようなメールをするということは、普通の友だち以上の関係になっていると考えてもいいでしょう。
反対に、相手からそのような内容のメールをもらったとしても嬉しく感じるのでしたら、それは紛れもなく恋心と考えるべきでしょう。
普通の相手でしたら、メールをもらっても何とも思わないか逆に煩わしく感じるものです。
ですから、それよりもなによりも嬉しく感じるのでしたら恋心と思って間違いないということになります。
全ては後になってわかる
相手の男性あるいは女性のことが気になりだしたのはいつの頃からでしょうか。
出会いのときはそうでもなく、ただの友だちと思っていたのに実際はそうではなかったのです。
目が合えば挨拶くらいはするくらいの関係だったのが、いつのまにか相手の男性あるいは女性が近くにいると目で追うようになってしまった自分に気がつくのです。
そのような行動を起こすようになれば、それはひょっとしたら恋心が芽生えたということになるのかもしれません。
はっきりとしたことはそのときにわからなくても、後になって考えてみると、きっとあのときがそうだったんだと思うときがやってきます。
もっとも、そのような気持ちになるのは、その相手の男性あるいは女性とめでたくつきあっているときということです。
そうでなければ、パートナーに対して恋心がいつ芽生えたのかを気にする必要もないのですから当然のことですね。
つきあっているからこそ、パートナーにいつから恋心が芽生えたのか、2人にとってはそのことがとても重要になってくるのです。
それでも相手の男性あるいは女性のことが気になる、目で追うようになるというのは、この日からというように特定できるものではないのかもしれません。
いつの頃からか突然というものではなく、いつのまにか…というように形容しか思い当たらないということですね。
とかく恋人同士になってしまうと2人の関係はいつから始まったのか、いつの頃からお互いのことを意識するようになったかを詮索してみたくなってしまうでしょう。
付き合っているもの同士でしたらなにもかもを記念日にしたくなるものですから、これは当然のことといえるのです。
最初の恋心が芽生えたときを特定して、2人の記念日にしたいと考えるのですね。
もっとも、それはやはり特定するものではなく、あやふやなままにしておいたほうが2人にとっては心地のよいものと言えるのも後になってわかるものなのです。
こうだと無理に決めることもなくあやふやなほうがいい場合もあるということですね。