いつもの恋人との会話の中にも心にグッとくるような言葉があるものです。
特に意識もしていないのに相手を思いやる言葉はまさに魔法のように心に突き刺さってきます。
何気ない言葉でも受取方一つで幸せな気持ちになるのはやはり二人が愛し合っているからでしょう。
交際クラブ・デートクラブにおいても参考にしてみてください。
言葉はシンプルなほうがいい
恋人に言われて嬉しいのは、一緒にいるといつも楽しい、という言葉ではないでしょうか。
こういった言葉かけは何よりも嬉しいものです。
なんといっても自分がパートナーにとって必要な存在と言われているようなものですから、それを直接的に言われたのですから嬉しくないわけがありません。
この言葉は、ときめいてしまう言動のトップに立つものといってもいいでしょう。
これには何よりも相手に対して下心がまったくありません。
さりげなく言う場面が多い言葉ですからく、言葉のシンプルさ故にそこからさらにいろいろなことを考えることができるのです。
この言葉の胸キュンとなるところは、遠回しの言葉ではないということです。
それでいて直接的すぎないところがとても心に響くのです。
この言葉を言われてしまったら思わず、自分もそう思っていると言ってしまうことでしょう。当然ですが、感謝の言葉を伝えながら、自分もそう思っているということをきちんと伝えなくてはいけません。出会いから、二人の気持ちが深まっていく中で、パートナーの言動には、そのときどきで一喜一憂してしまうことでしょう。
あまり深読みはしないほうがいいのですが、良い意味に取ることもできれば悪い意味に取ることもできる言葉もあります。
ときには、あやふやな約束というのもあるかもしれません。
そのような、今度どこかへ行こうかというような言葉というのは、パートナーも探りを入れていることが多いです。漠然とした問いかけをして、こちらの反応を見ているということですね。それでもそのような言葉かけもとても嬉しいものです。
付き合いが深くなってくると、そのようなあやふやな約束もより具体性をもったものになってきます。ですから、あやふやであっても性急にならずに漠然とした約束でもずっと心の中にとどめておきましょう。
あやふやなのはどこかお互いに遠慮している証拠です。
ですから、それほど深く考えることはなく、それがより具体性を持つまで焦らずに待つことがとても大事なのです。
それまでは、一緒にいて楽しいという言葉をかみしめておくといいでしょう。
直接的でないほうがすっきりするかも
パートナーのさりげない言葉には、ときにドキッとしてしまうことがあります。
あまりにも普通でさりげなさすぎて、何を言われたのかわからずに聞き返してしまうこともあるでしょう。
それもできないところに、出会ってからの日の浅さも感じてしまうかもしれません。
出会いは突然だとよく言いますが、男女が出会うというのは常に突然ですね。
後で考えるとそれも必然だったのかもと思うのですが、出会うこと自体は常に唐突であると言えるでしょう。
そして、そこから惹かれ合えば一緒にいる機会も増えてくるのです。
お互いが好印象をもっていれば恋人同士になるのもそれもまた必然なのです。
好きという意思表示はどちらからともなくあります。それが、面と向かって好きと言われることもあれば、好きになったかもと言われることもあるでしょう。
好きだよと好きになったかも…これは断定的なものと曖昧なものです。
もちろん断定的に言われるほうが嬉しいのですが、まだ恋愛関係が発展途上にあるときは、好きになったかもという曖昧な表現にどことなくどきどきとしてしまうのです。
日本人の気質として、ストレートに言えないということはよくあります。
オブラートに包んだ言葉になってしまうのです。それでも、このような好きになったかも、というのは好きだよよりも場合によっては効果的に作用します。直接的に言われると冗談のように聞こえてしまうこともあります。
好きになったかもというのに、嘘っぽくなく却ってストレートに心の中に入ってくるのです。
すでに恋に落ちている
相手に言われてドキッとするということは、すでに恋に落ちている証拠です。
相手に対する気持ちは友だちのものからすでに恋人のものに変わっているのです。
同時に相手がこちらのことをどう思っているかも気になることでしょう。
好意を持っているのは間違いなくても、失恋するのが恐くて告白できないのです。
傍から見たら相思相愛でどちらかが告白したら、丸く収まるのにとやきもきしているはずです。それでも当人たちは、自分が傷つくよりも相手が傷つくのが恐くてなかなか告白できないのですね。もっとも、お互いが相思相愛で、すでに恋に落ちているのですから、後は時間の問題ということになります。
遅かれ早かれ、そういったきっかけはどこかで出てくることでしょう。
しかも相思相愛なのですから、きっかけを逃したとしてもまた次のきっかけがあるのでいずれは、カップルになることができるのです。